投資狂日記

自由を追求するブログ

市場の効率性と投資家の合理性

インデックス投資が広まり、それ一色になってくるとかえって不気味さを感じてしまう。投資に絶対は存在しないはずだが、インデックス投資が絶対視されてしまうことに問題はないのか。

 

インデックス投資の背景には効率的市場仮説がある。効率的市場仮説とは、すべての利用可能な情報が完全に市場価格に反映されているとする仮説だ。効率的な市場であれば、利用可能な情報はすべて価格に反映されているため、投資家は掘り出し物を見つけることはできなくなる。

だが、これはあくまで仮説であって、現実にすべての情報が「完全に」市場価格に織り込まれているとは思えない。

それに市場の効率性が成り立つためには、投資家が合理的でなければならない。理屈の上では、非合理な投資家がいた場合には、合理的な投資家がすかさず価格の歪みを見つけ裁定取引をすることで瞬時に訂正されることになる。でも、価格の歪みが修正されるとしても、それが瞬時に行われるのは現実的ではない。

 

インデックス投資は効率的ということで合理的な投資家が同じ行動をとり始めると、皮肉にも効率性が低下しかえって非合理となってしまうことはないのか。インデックス自体の価格が歪んでしまえば、そこにつけ込む余地が生まれるのではないか。

 

今起きている現象は、インデックス投資家が増えることで時価総額の大きい銘柄は多く買われて割高となり、時価総額の小さい銘柄はあまり買われず割安となっていることだ。

いずれこの歪みが解消されるような動きが出てくる。こう考えて行動するのも合理的といえる。

また、こうした歪みが起きることを承知のうえで、それでもインデックス投資を粛々と続けるというのもまた合理的なことといえるのだろう。

 

合理的なこともそれが常識になると非合理になりうる。

そしてこんな言葉を思い出した。

 

”非合理な常識よりも、非常識な合理を採る。それが自由への道である。”

森博嗣 著「自由をつくる 自在に生きる」より)

 

労働のコモディティ化

だいぶ前に、あらゆるものがコモディティ化しているということを書いた。

 

www.crazy-investor.jp

 

ふと思ったのが、労働もコモディティ化しているのではないかということだ。

 

長年のデフレが続き、賃金水準は一向に上昇していない。ようやく最近は賃上げムードになっているが、物価上昇によって打ち消されてしまっている状況だ。また、非正規雇用の割合が増大していることもある。

 

だがそれだけではないのではないか。

IT化やデジタル化が遅れているといっても、ネット環境が普及しそれが当たり前になったことで仕事のやり方もだいぶ変化している。それによって、それまではその人しかできない職人技のような仕事がそこら中にあふれていたものが、コンピューターに置き換わったことで誰でもこなせるようになった。誰でもできるということはその仕事の価値も低下することであり、結果的に賃金は上がらなくなる。こうしたことがあらゆるところで起きていて、賃金水準が上がらなかったのではないか。

 

そして今度はAIという新しい波が押し寄せている。

このAIがコモディティ化した労働をこなしてしまうようになるのではないか。すでにAIを優秀なアシスタントとして活用し、人を雇わなくてもやっていける事例が出てきている。

また、AIはいわゆる「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」もこなすことになり、今までそれをしていた大量の人々があぶれることになるかもしれない。

 

それで人手不足はある程度緩和される可能性もある。

どうでもいい仕事がなくなって、なくてはならない仕事に人が集まるようになる。でも労働でガンガン稼げる人は一握りで、ほとんどの人はそこそこしか稼げないようになっていくのではないか。

 

なくてはならない仕事ができないなら、なくてはならない仕事をする企業に投資することだ。

自分でできないことを投資という手段で賄うという発想はこれからますます大事になると思っている。